21歳の秋。
私は初めての海外にバックパッカー旅をするべく準備を進めていた。
大学を一年休学して、半年バイトしてお金を貯めて。
インドのエローラ石窟寺院第16窟カイラーサナータ寺院を見るために。
当時はまだ簡単にオンラインで航空券をブッキングなんてできなかった時代。
どのように航空券を予約したのかとかはもうほとんど記憶に残っていない。
航空券なんてどう予約したらいいのか何も知らなかったため、最初は電話で直接ANAに電話して値段を訊き、正規の航空券の高さにめっちゃ驚いたのは覚えている。
結局格安航空券の買い方が書かれた本を買ってきて読んで、何とか格安航空券を買った。
リコンファームをちゃんとできるか不安だったので、リコンファームが必要無いと言われた一ヶ月半フィックスのチケットを選んだ。
航空会社は香港の航空会社であるキャセイパシフィック航空。
そのため、香港でトランジットしてからインドのデリーに向かう行程だった。
トランジットの事も全く理解していなかった私は「へー。ついでに香港まで行けるなんてお得じゃん、ラッキー。」ぐらいにしか考えてなくて、この後ちょっとした窮地に勝手に陥るのですが、その様子はまた次回で。
その年はアメリカで同時多発テロが起こった年で、世界情勢が非常に不安定だったので、周囲からはとても心配された。
けど、ここでやめてしまったら、何の為に大学を休学してお金を貯めて準備したのかわからない。
私は両親や友達の反対を押し切りバックパッカー旅に出ることにした。
そして出発前日。関西国際空港から出発だったので京都の大学に通っていた友達のアパートに一晩お世話になり、関空へ。
前日なんてそりゃあもうドキドキで、不安でいっぱいで、もう日本に帰ってこれないんじゃあないかと考えていた。
関空へ着いて自分が乗る予定の便のフライトスケジュールをボードで確認してビックリした。
インドのデリーまで行くのに香港でトランジット・・・だけだと思っていたら、香港に行くまでにも台北で一回乗り継ぎがある・・・!
マジかよ。香港の一回だけで不安なのに台北でもあるのかよ。もうムリムリ。どうしたらいいかわからんちん。
持ってた日本円を両替所でUSドルに換え、キャセイパシフィックのカウンターで搭乗の手続き。
緊張しながら出国手続きを済ませ、ついに飛行機の中へ。
移動中は、今まで見た事の無い雲の姿形を眺めながら過ごしていた。
そして、台北に着いた時、乗客の入れ替えがあって2時間程のトランジットがあった。
不安でたまらなかった私は、キャビンアテンダントにとある頼み事をした。
その頼み事とは・・・、
「飛行機から降りるの不安なので乗ったまま待ってていいですか?」・・・と。
ギャー恥ずかしいー!
いま考えるとなんてビビリで臆病者で無職の甲斐性なしの貧乏人なのか・・・。ダサいにも程があるぞ俺!
そして意外にも、キャビンアテンダントの返事は、なんとオッケーだった。
私以外の乗客は全員降りて、機内を掃除する人達が入ってきて掃除してる間、ずっと一人で座席に座って待っていた。
ヘタレの自分がダサくて情けないのは自覚してるけど、下手に降りて迷ったり乗り過ごしたりするよりかはマシだ!と心の中で自分に言い聞かせながら。
しばらくして、また乗客が乗ってきて無事にまた飛行機は離陸し、ついに香港に着陸した。
香港の空港で滞りなく入国を済ます事ができ、少しホッとしたが、まだ乗り越えるべき壁がある。
フライトスケジュールでは、次に乗るデリー行きの便まで、なんと24時間もあるのだ!
24時間をどのように過ごすか全く考えていなかったし、インドの事で頭が一杯で、私は香港についての情報を一切持っていなかった。
えーん、どうしよう怖いよー。どこ行ったらいいかも全然わかんないよー。
でもいつまでもそうして不安がってるだけで空港にいても何も変わらない。
時間は既に18時過ぎ。これ以上うろたえてても状況は深夜に近づくほどに悪くなる一方だ。
意を決し、まず持ってたUSドルのうち、50ドルぐらいだけを両替し、空港の外へ出る決心をした。
ちょうど空港の出口付近に日本語で書かれた香港のガイドマップがあったのでそれだけを手にし、「Central」って書いてある場所に行けば中心地なのだから何かあるだろうと思い、バスに乗った。
次々に過ぎていく初めて見る異国の地での車窓。薄暗い空気の中にぼんやり光るオレンジ色の街灯。
一体このバスはどこに行くのだろうか。セントラルに行ってみるはいいけど、一体どこで降りたらいいのか。
期待の何倍もの不安が胸中で渦巻いていた。
21歳の秋。人生で初めて迎える海外での夜はもうすぐそこまで迫っていた。
次回へ続く。
旅の一コマ <香港で野宿②>
旅の一コマ <バックパッカー旅のきっかけ>
旅の一コマ <初めてのインド①>
トップページへ