日時     2008/10/16
場所     日本 山口県 仙崎
F値     8
露出時間  1/250

みんなちがって、みんないい

言語感覚。

言葉感覚のセンスというのは、一種の才能であり、無い者には残念ながらほぼ一生身につかないものだ。

母国語である日本語でみな同じように育ってきたわけだから簡単に身につくしあまりみな大差ないような気がするけどそうではない。

周りにもいるでしょう、長々と区切りなく話を続けてるうちに話題の核がどこにあるのかわからなくなったまま話す人が。
あ、こういう長々と回りくどい説明がダメだ。やり直し。

周りにもいるでしょう、話のヘタな人が。

個人的な経験からいって、話の上手い人は、「聞き上手かつ短い手間でその時必要なことが言える人」である。

一つの事柄を端的にかつ正確に言い表すってのは実は至難の業だ。
それを踏まえ、冒頭の「みんなちがって、みんないい」という表現を見てみる。
これは、童謡詩人であった金子みすずが書いた「わたしと小鳥とすずと」という詩で出てきた一言であるが、非の打ち所がない。

人と人、人と動物、人と物、それぞれ違っていて個性があってそれが素晴らしいんだという内容を端的に言い表している。
これ以上何も足せないし何も引けない。

金子みすずは1903年(明治36年)に現在の山口県長門市仙崎で生まれた。
20歳頃から詩を雑誌などに投稿したり詩人仲間と文通したりして過ごしていた。
結婚して娘を産んだが、夫と離婚する際の親権争いから服毒自殺をし26歳の短い人生を閉じた。

しかし金子みすずの人生はまだ終わらなかった。
長らく埋もれ忘れられていた金子みすずの詩は、後に同じく詩人であった矢崎節夫によって発掘・再評価され、1984年に金子みすず全集という形で発行され、再び脚光を浴び蘇ったのだ。

2003年には生家跡に金子みすず記念館が建てられている。
東日本大震災の時にACのCMで金子みすずの詩が使われたり、小学校の教科書にも掲載されたりで、近年また知名度が上がった。

私は2008年に自転車で日本を旅していて、その旅路で仙崎に立ち寄った。
金子みすずの詩が好きで、故郷である仙崎にも行きたいと思っていたのだ。
写真は、金子みすず公園にあった歌碑の一つ。他にもいくつかの詩が刻まれた歌碑があった。
金子みすず公園は丘になっていて、階段を上がると中腹にベンチや屋根付きの東屋みたいな場所があり、さらに階段を上がると展望台がある。

ここだけの話、私は東屋で野宿させてもらったらのだが、少し不思議な体験をした。
東屋に座って座禅のように足を組んで目を閉じて、普段めったにやらない瞑想的な事を珍しくしていた時のこと。
しばらくしたら急にサアーっと神経が研ぎ澄まされていく感覚に襲われた。
襲われたというのは、意図してなかったのに勝手にそうなってしまったからだ。
あれあれ?っと思っているうちに、目は閉じてるのに周りが見えてるような感じがあり、鈴虫のリーンリーンという音やカエルの鳴き声が立体的に聞こえ始めた・・・。
いや、何も変なモノは吸ってなくて。
とにかくそういう不思議な感覚が数分あった。金子みすずは一切関係ないんだけど・・・。

私は海外をバックパッカー旅している時に金子みすずの詩集をバックパックに入れて時々読んでいた。
詩には優しさや思いやりや慈愛が溢れている。

しかし不思議なのは、金子みすずは生まれ育った仙崎と、家庭の事情で行った下関ぐらいしか知らないというのだ。
なのに、視野がめちゃくちゃ広い。視点がもうどっか超越している。
まるで世界各地で色んな経験をして視野を広げてきたみたい。

私含めほとんどの人が日本や海外を旅して色んな経験をすると視野が広がるし成長すると思ってるし、それは確かに間違いではないんだろうけど、100%正しい訳ではなさそうだ。

きっと柔軟で底抜けの想像力さえあれば、どこにだって行けるし、何にでもなれる。

あれ。だらだらと文章を書いているうちに何だか話題の核がどこにあるのかわからなくなってきた。
しかも世間ではアクセスが集まる記事を書こうと一生懸命な人が多いなか、こんな世間からまったく需要のない文章を・・・。
でもまあいいでしょ?
みんなちがって、みんないいじゃん。


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