前回までのあらすじ。

2010年、ひょんなことからインドネシアのカリマンタン島とスラウェシ島の間を大型船で南下した私はバリパパンという街に降り立ち、宿を探して一晩中闇夜を歩き回った。
途中でゲイに狙われツーケーの付け根を揉まれて逃げたり、宿もトイレも見つからないまま歩いてウンコを少しもらしたりと大変だった。


マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その1<ビザ取得>
マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その2<オカマとテングザルに会う>
マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その3<誰かの結婚式>
インドネシアで船旅 その1<うっかりインドネシア語を学ぶ>
インドネシアで船旅 その2<船の中で会った人達>
インドネシアで船旅 その3<一晩中歩いてウンコもらす>


バリパパンという街はただの中継地点で寄っただけだったので、私はすぐ今度はパレパレという街に向かう船に乗った。
今度の船は、タラカンからバリパパンまでの大型船ほどは大きくなかった。
なかったが、乗客は多かったために私は通路にマットを敷いて寝る羽目になった。
他にも同じように通路に敷いたマットで寝るインドネシア人の乗客がいた。
まぁヘタにぎゅうぎゅう詰めの部屋よりかこっちの方が気楽でいいかもと思った。
時々ゴキブリとは違う変な黒い虫がいるのは少しイヤだったけど。

パレパレという街に行くのは目的があった。
以前インドネシアで船旅 その2<船の中で会った人達>で述べたが、大型船の中で会ったイガという17歳の女の子に私はインドネシア語を教わった。
そのイガの家族に是非パレパレに遊びに来てくれと言われていたので、図々しくも本当に訪れることにしたのだ。

バリパパンからパレパレ行きのフェリーの中で、私が寝ていた通路からドアを開けると、イスが並んだちょっとしたホールがあった。
そのホールには乗客を退屈させない為のステージがあった。
私はホールの一番後ろに立ってフーンなるほどねこういうのもあるんだと思いながら司会者がこれから始まるステージの紹介する様を見ていた。
ステージにはキーボードを弾くおっさん1人と、その曲に合わせて踊るダンサーの女性2人がいて、紹介が終わると演奏とダンスを始めた。

司会者の男性は、ステージを降りてホール後方に下がってきて、私にインドネシア語で「Dari mana?(どこから来たんだ?)」と話しかけてきた。
「ダリ マナ?」は大型船の中でインドネシア人たちに頻繁にされたすっかりお馴染みの質問だった。
「Dari Japan.」と答え、そのまま司会者の人と覚えたての片言のインドネシア語で少しだけ会話した。

演奏は10分ぐらい続いていた。
ステージの演奏が一区切りついたところで、司会者がマイクであれこれ喋り始めたかと思うと、突然こちらに手を向け、「Japaaaan!」と言った。
その途端観客が一斉にこっちを向きワーっと拍手したではないか!
ギャーーーーーッ!
どうやら司会者は「本日のスペシャルゲストです、フロム・・・ジャパーーン!」とでも言ったのだろう。勘弁しろー。本人の承諾なしに勝手にそんな事すんなあー。
いまさらムリムリとか言える雰囲気ではない。えーい、行くしかあるまい!

ステージに上がったら、演奏が始まった。
とりあえず横にいるダンサー2人の動きをマネして踊ってみた。

ウケた。

観客は拍手しながら笑っている。
よっしゃー、これぐらいなら余裕だぜ。

でも、さっきもそうだったけど、一曲が長い。10秒もしたら拍手もなくなった・・・。
ダンサーたちの踊りのバリエーションも少なくて、変化に乏しいので、3分もしたら観客の顔から笑顔も消えた・・・。
みんな腕くんだり頬杖ついたまま、ただ真顔でこっちを見ている・・・。

うえーん、イヤだよーしんどいよー早く終わってくれよー。

針のムシロに座っているかのような10分が終わってステージから降りてホッとした。
確かにレアな体験ではあったかもしれない。
でもなんか負けた気分だった。くそう。

船は無事パレパレに着いた。適当な宿を見つけてから、私はどうやってイガに連絡を取ろうか考えた。
イガの家の電話番号はメモでもらっていたので、その辺の商店でどこか電話かけられるところある?と聞いた。
そしたら親切なことに、そのおばちゃんはイガの家の番号に電話してくれて、日本人が訪ねてきて待ってるよと伝えてくれたのだった。
おばちゃんにお礼を言ってしばらくそこで待っていると、イガとイガのお母さんが迎えにきてくれた。

大型船の中以来数日ぶりの再会。
私は家に招いてもらってご家族と一緒にご飯をご馳走になった。
泊まらせてもらうのは気が引けたのできちんと夜は宿に戻ったが、結局私は数日パレパレに滞在し、イガとイガの家族と一緒に買い物したり楽しく過ごさせてもらった。

なかなか豪華なリビング。どこまでが家族かわからないほど色んな人がいた。

ちなみに、インドネシアは人口は2億人以上いて、その大部分はイスラム教徒であり、女性はだいたいトゥドゥンと呼ばれるスカーフみたいな布で髪の毛を隠している。
そして未婚の女性が外国人と二人っきりで外出などは滅多にない。だから買い物など行く時は必ずイガのお母さんとの3人だったし、私はむしろイガには近づきすぎないように距離を保っていた事を付け加えておきたい。

あ、あと、イガの家になぜか化粧をした若い男どもが十数人集まってワイワイ談笑してた夜があったな。
イガはあいつらはクレイジーだと言っていたが、あれはどう見てもオカマかゲイの集団だった。
タラカンで家に泊めてくれたり親切にしてくれたレストランのオーナーは確実にオカマだったし、バリパパンでケツを触ってきた奴は自分からゲイだと言っていたし、なんだろう、インドネシアってLGBTの人が多いのか?

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イガとイガの家族には本当にお世話になった。
最後もパレパレを出発するフェリーに乗る時に見送りに来てくれた。
タリマカシバーニャ。(インドネシア語で「とてもありがとう」)
後に日本に帰国した後、お世話になったお礼として日本の調理器具やちょっとしたお土産などを段ボールにつめてイガの家に送ったのだけど、とても喜んでくれたみたいで良かった。

元々はこのカリマンタン島とスラウェシ島の間を船で移動しながら南下するなんてルートを通るつもりは1㎜も無かったし、ひょんな流れから通る事になった時も言語と治安面で不安だったが、結果的にこのルートを通って良かった。
インドネシア人はみんな親切だったし、英語なんか通じなくてもお互いが理解しようという気持ちさえあれば片言の単語と表情と雰囲気で何かしら通じて笑顔になれるのだ。
私はインドネシアがとても好きになった。
あー楽しかった。


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