私がシンガポールを訪れるきっかけは、自転車旅で泊まった沖縄の宿が発端だった。

2008年に自転車で沖縄まで旅をした時に那覇にあるとある安宿に泊まっていたのだけど、そこでは数人の若者がフリーアコモデーションで滞在していた。

フリーアコモデーションとは、掃除やチェックイン対応などの宿の仕事を手伝う代わりに宿泊費を無料にしてもらうというシステムだ。
条件によっては、1日数時間の仕事だけで済む場合もあるし、旅先で出費を抑えつつ滞在できるので、長期旅行者にはとてもありがたい。
宿側も人件費をかける事なく宿を管理できるので、かなり助かる。
つまり、ゲスト側からしても宿側からしても Win-Win と言える。

海外のゲストハウスでもフリーアコモデーション(エクスチェンジと呼ぶケースもある)はあって、私自身も海外の4つの宿で経験している。

話は沖縄の宿に戻って、その時フリーアコモデーションしていたのは、日本人が3人とシンガポール人の女の子1人の4人だった。
シンガポール人の女の子はケリーという名前で、ケリーは日本語がそこまで話せる訳ではなかったが、長い黒髪が印象的な中国系シンガポール人だった。

私が長く滞在しているうちに、私は片言の英語でケリーと会話するようになり、「海外に旅に出てシンガポール行ったら連絡する」という約束をした。
当時、最も便利な連絡手段はEメールだったので、お互いのEメールアドレスを交換した。

2010年、シンガポールを出発点として東南アジアをぶらぶらする計画でバックパッカー旅をする準備をし、ケリーにメールを送った。
メールでのやりとりは英語で、当時の私の拙い英語では簡単な事しか伝えられなかったので、とりあえず入国した次の日に一緒に晩ごはんをって話で落ち着いた。

シンガポールについた。
久しぶりの海外だった。
2001年に初めてのバックパッカー旅でインドに行き、初日からして旅行会社に捕まりツアーを組まされた苦い記憶があって何年も海外を旅する勇気が出なかったから。
その頃の私の旅の熟練度をドラクエの装備で例えたら、「ぬののふく」と「ひのきのぼう」しか装備してないぐらいの貧弱さだった。

ケリーと再会し、ショッピングモールのフードコートでご飯を食べた。

んであれこれ話してるうちに、明日はどうするみたいな流れになり、ケリーは「私明日は教会に行くんだけど、あなたも来る?」と訊いてきた。
教会?よくわかんないけど、まぁ何の予定も無いし行ってみるか。
「オッケー」と返事した。

翌日、待ち合わせの場所にケリーはブルーのワンピース・黒のタイツ・ブルーのエナメル素材のパンプスで現れた。

なんか・・・「ファッションにお金使ってます」って感じが出てて、経済的に余裕がありそうだなって思った。

実際、シンガポールに行ってみると、ショッピングモールやブランドショップがたくさん立ち並んでて、経済的に活気がある事に驚く。特にオーチャードストリートとか。

ちなみにフードコートでご飯食べてた時にケリーに「休みの日とか何してるの?」って質問したら、「ショッピング」って返事で、「趣味は?」って質問してもやっぱり「ショッピング」だった。

ケリーについて歩くこと十数分。
ケリーが言う「Here.」
我々は目的地の教会についた。

・・・ってこれショッピングモールやないかーい!

しかしケリーは冗談の素振りはなく、本当にショッピングモールの中に入り、エレベータ―で4階まで上がっていく。
え?マジなの?

エレベータ―の扉が開くと、目の前にはたっくさんの人が既に集まっていた。
よくある一般的な教会の建物をイメージしていた私には意味不明で、頭が混乱したままだ。

このフロアはおそらく催事用のフロアなのだろう。
学校の体育館で使われるようなパイプイスが何列にも並べられていて、正面にはプロジェクターを投影するようにスクリーンが用意されている。

ケリーが色んな人に挨拶をしながら進み、我々はパイプイスに着席した。

う~ん何だコレは。海外を旅する為に来たのに、俺は一体何をやっているのだ。

パイプイスが埋まり、後方ではイスに座れなかった人達や主催者側らしき人達が立って集会が始まるのを待っている。

司会者の挨拶があり、その後会場は暗くなってプロジェクターによりスクリーンに映像が流れ始めた。

映像では、どっかのデカいホールで白いタキシードを着た30~40代ぐらいの男性が演説する様子を流していた。
どうやらこの男性がこの宗派の教祖さまのようだ。
全部英語で話していたので、私にはよくわからなかったが、なんとなく正しい行いをせよみたいな事を言ってると推測した。

教祖さまの演説の後、ステージにイケメン男性アイドルグループみたいなのが数人登場し、女性コーラスやバックバンドと共に歌を歌い始めた。
なんだろう、これは?まさか賛美歌の代わりなのか?

きっと、古臭さを排除し、現代風のポップな曲で神を賛美した歌を歌い、信者を獲得しているのだろう。

スクリーンの映像が終わると、会場も明るくなり、横からビスケット1枚と、イチゴジュースのような色した小さな一口分の飲み物が入ったカップが配られた。
司会者の合図に合わせて全員が何かの言葉を唱え、ビスケットを食べジュースを飲み干した。

これでイベントは終了したようだった。

はー、やっと終わったと思って帰ろうとしたが、エレベータ―前でケリーが親し気にポロシャツを着ていて恰幅の良い40代ぐらいのにこやかな男性と話し始めた。

ケリーはその男性に「彼は日本から来た私の友達なの」と私を紹介し、さらに「この人は私の神父様なのよ」と説明してきた。

え?この人・・・って、ちょっと小太りでポロシャツ着てますけど?
神父様って黒い服着てて白いヒゲとかあって聖書を手にしてるもんじゃないの?
ただのカジュアルなおっさんじゃん!

神父は満面の笑みで英語で挨拶してきて、がっちり握手された。
そしてなぜか私は会場の隅にパーテーションで区切られたスペースに連れて行かれたのだった。

パーテーションの中にはパイプイスが2つ向き合って並べられていて、私と神父が向かい合って座り、ケリーがその脇に立つという形になった。

ケリー:「彼はこの後マレーシアを旅するなんて言うのよ」
神父:「おぉ、なんて危ない!キミ、その後はどうするんだ?」
私 :「たぶんインドネシア・・・」
二人:「もっと危ない!!」
私 :「・・・」
神父:「私が君の無事を祈ってあげよう」

という会話がなされ、かくして神父は私のヒザに右手を置き、左手で首から下げてた十字架を持ち、なにやらゴニョゴニョ祈りの言葉を唱えたかと思うと最後にアーメンと言った。

「さぁ、もうこれで大丈夫!(満面の笑み)」

心の中ではずっと「いらねー!」って思ってはいたけど、とりあえず旅の無事を祈ってくれた事には変わりないので、丁寧にお礼をした。

ショッピングモールを出てから、普通にケリーと解散してゲストハウスに帰ったが、「もうコイツと会うこたねーな」と思った。

後に団体名を検索して調べたところ、やはりキリスト教系の新興宗教だった。
日本でも時々新興宗教の活動やトラブルがニュースで取り上げられる事があるが、やっぱり海外でもあるんだな、といういい経験にはなった。

しかし、ショッピングモールの催事用フロアを教会と言い張ったり、アイドルグループみたいなのを使ってポップな歌を歌ったりとか・・・アリなのか?
信者の人達は一体どう思っているんだろうか・・・。
新興宗教団体が色々試行錯誤してくるとはいえ、信仰に足る要素が俺には一つも感じられないんだけど?

果たして、その後私はシンガポールで10日間過ごした後、マレーシアとインドネシアを無事に旅して、たくさん楽しい経験をする事になるのだった。

決して、神父のお祈りのご加護のおかげじゃあねーけどな!


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