もし、海外の異国の地で現地の人と接する時に全く言葉が通じなかったら、コミュニケーションは取れないだろうか。
そんなことはない。言葉が通じなくてもコミュニケーションは取れる。
表情だったり、ジェスチャーだったり、人柄だったり。
言葉が通じなくても、大声出してバカ笑いできたりする。
そんな経験が出来るのも旅の楽しみの一つかもしれない。

今回は自分がしたそんな経験を。
場所はインドネシアのカリマンタン島で、タラカンという街から大きな船で2泊3日の船旅をした時の話。
どのような流れでその船に乗る事になったかは前の記事で書いているのでもし興味あればどうぞ。

マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その1<ビザ取得>
マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その2<オカマとテングザルに会う>
マレーシア(タワウ)からインドネシア(タラカン)へ国境越え その3<誰かの結婚式>



親切なオカマに何かと助けてもらって、タラカンという街からカリマンタン島の東にあるスラウェシ島の街にも寄りつつ南下してバリパパン(Balikpapan)という街に行くフェリーに乗った。
スラウェシ島はカリマンタン島の右側にあって、かなり変わった形をした島だ。ヘンなポーズしたサルみたいな。

フェリーが停泊しているところまで歩く。遠目に姿を表した船は予想してたより何倍もデカい・・・!
フェリーっていうか、大型船だ。マジか。

うおお、デカッ!乗船を待つトラックやバイクがたくさん待機している。

行程は17時頃に出発して2泊3日かけてバリパパンに到着する。
値段ははっきり覚えてないけど、一番ランクの低いシートの切符で確か日本円で2500円ぐらいだったような気がする。
移動しながら宿代が2泊分浮くしちょうどいいや。
・・・と、この時は気軽に考えていた。
実際乗り込んでから、じわりじわりとヤバさに気づいたのだった。

船内はこんな感じ。

大部屋にベッドとも言えない大きな台が置いてあって、番号が付いている。あの番号が一人分に割り振られたスペース。せまぁ!

ざっくり畳一畳分ぐらいだろうか。しかも、黒いクッションがあるところと無いところがあるが、なぜかと言うと、クッションは別料金なのだ!
これもはっきり覚えてないけど、5000ルピアぐらいだったかなぁ。だとしたら50円だ。
少しでも快適に過ごしたいならオプションでクッションを借りなきゃいけないという・・・。
クッションぐらい標準装備でつけといたれよ。

部屋の感じからして、この部屋だけでざっと100人以上はいる。船の大きさからして、乗客はざっと1000人以上はいるだろう。
そして、おそらくはいま乗客の中に日本人は自分一人だ。
大丈夫かなと心配しながらクッションを借りて敷き、自分のスペースを確保した。
季節は5月中旬だったが、めちゃくちゃ蒸し暑かった。最低ランクの部屋に冷房などはついていない。
全員が汗かきながら「パナス、パナス(暑い、暑い)」と言っていた。
どんより湿った空気が部屋の中に充満していて、逃げ場が無い。暑くてたまらん。
このまま2泊3日だなんて気が遠くなる・・・。

これは失敗だったかなと既に出発前から後悔気味だった。

ふと誰かが、天井に送風口みたいなのがあって、そこから微妙にひんやりとした風が吹いてくることを発見した。
そしたらその周辺の席の人達がみんな送風口の近くに集まってきてワイワイ話し始めた。

インドネシアの人達は、みな人懐っこい。
日本人だと、例えば電車でバスで隣同士になった人といきなり旧知の仲のように話し込んだりすることは稀だ。
少し挨拶や会話をしたとしてもよそよそしくて、他人同士の間には冷たく高い壁がそびえたままだ。

でもインドネシアの人達はすぐ仲良くなる。他人との壁が低く温かい。

そんな人達ばかりだから、部屋に混ざっていた日本人の私にも面白半分で話しかけてきた。もちろん英語ではなくインドネシア語でだけど。
こっちはインドネシア語でなんてわからないから、何か話しかけられたら、耳で聞こえたままをできるだけ再現してマネして聞き返していた。
「Dari mana?」って聞かれたとしたら「Nani mama?」とかそんな感じで。
そしたら私がマネして言ったインドネシア語もどきの響きが面白かったのだろう、周りのインドネシア人達がみんな大爆笑する。
面白がって次から次へと何か言葉を浴びせてくる。
こっちはそれをできるだけマネしてオウム返しする。
その度にみんな大爆笑。
しばらくそれを繰り返していた。
例えば、日本に来た外国人が発した日本語の言い方が妙に面白くて笑ってしまうなんてことがある。
発音が全然むちゃくちゃだったりとか。

そんな感じでいつの間にか私はすっかりこの部屋のインドネシア人達と打ち解けてしまった。
で、誰か少しでも英語を話せる奴はいないのかとなった時に、近くの席にいた17歳の女の子が少し英語を話せることがわかった。

彼女の名前はイガといった。家族みんなでスラウェシ島のパレパレという地元に戻るところだった。
私はイガに基本的なインドネシア語を習った。私が持っていた手帳に知ってる英単語をインドネシア語にして書いてもらい、実際に発音してみて会話した。

Selamat pagi.  おはよう。
Terima kasih. ありがとう。
Apa kabar?   元気?

学校でいくら使う機会の無い英単語を覚えようとしてもすぐ忘れてしまっていたのに、いま、ここで、必要な単語はスッと入ってくる。

私は少しずつインドネシア語でコミュニケーションを取り始めた。

幸運だったのは、インドネシア語は世界でもトップクラスに習得しやすい言語だったこと。
インドネシア語は独自の文字が無い。全てアルファベットで表記されている。
アラビア語を勉強しようと思ったらアラビア文字も覚えないといけないが、インドネシア語はただアルファベットをローマ字読みすればいい。無声音もあるから全部ローマ字読みって訳じゃないけど。
あとは、中国語やタイ語などのように声調もほぼ無いし(たぶん)、ロシア語やフランス語みたいに名詞に性別も無いし(たぶん)、英語のように動詞の細かい時制の変化が無い(たぶん)。

真剣に学べば、ものの数か月でインドネシア人と日常会話できるようになるだろう。

しかも、不思議なことに、インドネシア人達は会話のきっかけにみんな同じような質問をしてくる。

Dari mana?    どこから来た?
Mau ke mana?  どこへ行く?
Suda makan?   もうご飯食べた?

なぜかこの3つは船の中で知り合う人知り合う人ほとんどの人に聞かれた。
おかげでこの3つの質問に対してはとてもスムーズに返事できるようになった。

簡単な挨拶ならインドネシア語で交わせるようになった私は、すっかり船の中が楽しくなってきてしまった。

次回は、知り合った人達や船の設備などについてご紹介します。


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