旅の一コマ、初めてのインド第三回目。
前回までの簡単なあらすじを。
まだ若く、旅慣れてなかった私はインドにやってきた。そして空港で持ってたUSドルを全部両替してしまい、インドルピーの札束を作ってしまう失敗をいきなりした。
親切な日本人のお兄さんに安宿街までのバスを教えてもらって乗ったものの、降ろされた場所は全く違う場所で、知らないインド人にオートリキシャで旅行会社へ連れていかれた。
インド人と攻防を繰り返した挙句、最後に連れていかれた旅行会社から日本語ペッラペラのインド人が出てきて、旅慣れていない私はまんまと口車にのせられてホテルを頼んでしまった!
これから一体どうなってしまうのか!?果たして無事に逃げ切れるのか俺!?
・・・ああ苦いわ、過去の辛い記憶って。
まぁでもせめて記事を読んで「ハハッ」と笑ってもらえたら。
そんなこんなで、私は日本語ぺらぺらの旅行会社のおっさんにその日のホテルを頼んでしまった。
おっさんは、「ホテルでは受け付けでパスポートを預けてください。ホテルまでの移動もドライバーを呼びます。」と言う。
はあ、そんなもんか。と愚かな私は何の疑問も抱かずに了解してしまった。
でも、普通はホテルのレセプションではパスポートの確認だけで預けるなんて事はまずない。
インドに来る前にトランジットした香港では野宿だったから、海外で初めてホテルに泊まる事になる私はその不自然さに気づけなかった。
すぐに車のエンジン音がして、お迎えのドライバーが来た。このインド人は日本語が話せなかった。
ホテルに移動し、言われた通りパスポートをホテルのレセプションで預けた。
そしてドライバーと晩ごはんを食べに行く事になり、レストランへ。
レストランは、ゲートをくぐって電飾がきらびやかな庭を通って店内に入るような高級なところで、何を注文すればいいか見当もつかない私は、ドライバーに勧められるがままにタンドリーチキンを注文した。
タンドリーチキンとは窯でチキンを焼いた料理で、インドでは高級料理の一つ。
確かにタンドリーチキンは美味しかったけど、お金はドライバーの分も払わされた。
店を出ると、庭で立っていた派手な衣装を着た子供が、突然「あっ、客が来た!」といわんばかりにこっちの顔を見ながら笑顔でいきなり踊りだした。
このレストランに食べにくる裕福なインド人達を楽しませる為に庭で踊る仕事をしているのだろう。
まだ10歳にもなってないぐらいなのに。
何もわかっていない愚かな日本人はチップもあげずに手を振って車に乗り込んだ。
ホテルの部屋はそれなりに広かった。
白黒で映りが悪い14型ぐらいのテレビがベッドの前にあって、トイレとシャワーは室内に備え付けられていた。
一応インドでは中の下クラスのホテルになるのだろう。
その時の心理状態は、結局旅行会社に捕まってしまった事に重苦しい程の後悔の念を感じていて、気分的に最悪だった。
とりあえずシャワーを浴びようと思った時、このホテルが旅行会社の息のかかったホテルなのは明白で、それはつまり部屋についている鍵など何の意味がないことに気づいた。
いま自分を取り巻くインド人達がその気になりさえずれば、部屋に押し入ってきてお金はもちろん身ぐるみはがされて命の危険すらあるかもしれない・・・!
一度そう思った瞬間、今まで感じたことのない恐怖が押し寄せてきて、冷静でなんていられなくなった。
心臓はバクバクし、声にならない声が漏れ、ウロウロするだけでどうしていいのかわからない。
ひとまず部屋にあった棚とかの家具を部屋のドアの前にずらして、もし誰かが侵入しようとしてもすぐにはドアが開かないようにした。
シャワーはホースがなく、パイプが壁づたいに固定されていて、水が出るヘッドそのものが頭上にに固定されているタイプだった。
しかし、蛇口をひねると、ヘッドからではなく、壁に固定されているパイプの継ぎ目からプシューっと飛び散るだけだった・・・。
なんだよこりゃあ!どうやってシャワー浴びろっていうんじゃあーっ!!
でもフロントに文句を言いに行くどころか、恐くて部屋から出られないヘタレな自分は、ずっとしゃがんだままパイプから飛び散る水でなんとかシャワーを浴びた。
シャワーを浴びた後はベッドでシーツにくるまって、白黒で映りの悪いテレビをただぼんやり見ていた。まるでファーストガンダムのアムロのように。
時々あまりの後悔の念に身を悶えて「ぐあああー!」って頭を掻きむしりながらぐねぐねした。
で、またぼんやりテレビを見て。
で、また「ぐああああーっ!」って身悶えして。
その繰り返し。
テレビは、MTV的なチャンネルを見つけてそれをぼんやり見ていたんだけど、その時驚くことに宇多田ヒカルの「traveling」が流れた。
テレビ画面は白黒なのに不思議な事にとても鮮やかに見えた。
曲や映像が印象深くて、闇夜に光る月の明かりのように眩しかった。
食い入るように私は画面を見つめた。
既に精神的にどっか異常をきたしていたのかもしれない。
いつ何時インド人達が部屋に侵入してくるかもしれないという妄想に囚われていた私は、部屋の電気もテレビもつけっぱなしでシーツにくるまったまま、ちょっとうとうとしただけで朝を迎えた。
その夜は、いまこの記事を書いている現在までの分を含めても、私の人生の中でダントツに最悪の夜だった。
あそこまで絶望と恐怖を抱えながら過ごした夜は、無い。
朝、ちょっとだけホテルの外に出てみた。
もしかしたら今いる場所が地球の歩き方のマップ上でわかるかもしれないという微かな可能性にかけて。
でも初めてのインドでそんなのわかるわけなく、パスポートをドライバーに握られたままで逃げる事もできない私は大人しくホテルに戻り、ホテル内のレストランでブレックファーストを食べた。
そして、ドライバーにまた日本語ペラペラのおっさんがいる旅行会社に連れて行かれた。
オフィスでインド人2人にツアーを迫られる。
パスポートはまだあちら側。
このままではもうもがいても何もかもが後の祭りと観念し、ツアーを組む事を承諾した。
ツアーの内容は、タージマハルがあるアーグラーやジャイプールなどを車で巡る2泊3日のツアーと、デリーから遠く離れたバラナシまでの電車のチケットのブッキング。
出来る限り日数は最小限にし、ツアーが終わった後にもパスポートが返ってこず握られたままにするのを防ぐ為に最後に長距離列車でデリーを離れる。
これが自分にできたせめてもの抵抗だった。
ツアー中もドライバーがパスポートを保持するのは目に見えていたけど、さすがに半日以上かかる列車の移動は誰もついてこないであろうと考えて。
日本でインドを旅する準備をしていた時は、あんなに何回もツアーを組まされたり睡眠薬入りの飲み物を飲まされて身ぐるみはがされたりしないように気をつけようとガイドブックの事例を読み込んでいたのに、結局、結局インド入国してすぐに旅行会社に捕まってツアーを組んでしまった自分を私は自己嫌悪すると同時にめちゃくちゃ落ち込んだ。
十数年経った今でもふいに思う事がある。
こうして普通に日本で生活している自分は妄想の形であって、もしかしたら本当の自分はあのままパスポートを失ったまま異国の地で途方に暮れ、どこかの道端で物乞いでもしながらさまよっているのではないかと。
続きます。次回はツアーの様子を。
旅の一コマ <バックパッカー旅のきっかけ>
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