これは、2019年8月にインドのバラナシで私が体験した話。

この時は雨季でガンジス河の水量が尋常じゃないほど多くなっている時だった。

普段だったらガートと呼ばれる階段状の河岸におりてぶらぶらと散策できて、ガンジス河に寄り添って生活するインド人の営みを目の当たりにする事ができる。
私がそれがしたくてバラナシに来ているようなものだったのに、どうしようもなかった。

この水かさではインド人達もどうしようもなくて、とりあえず河の水際ギリギリのところまで来ては頑張って写真を撮ったりお祈りをしたりしていた。

宿は最初日本人ばかりの宿に泊まったけど、なんか合わなくて1泊だけして別の宿に移ったら、そこのドミトリーには誰もいなくて私は基本的にいつも一人だった。
ガートを散歩する事ができないからヒマだ。

まぁいいんだ。
別にバラナシに「何か」を求めて来た訳ではない。
初めてバラナシに来たのが2001年。
これは4回目のバラナシで、ただ昔を懐かしむ為に来たようなものだから。

そういえば、1泊だけした日本人宿のコモンスペースで本を読んでいた時に耳に入ってきた会話、ビックリしたなぁ。

若者A:「駅からどうやって来ました?」
若者B:「ウーバーで来ました」
若者A:「やっぱりそうですよね、僕もです」

・・・って会話には。

驚きのあまり、手にしていた本を落としそうになった。
ウーバーだと・・・!?

そうか、いまのバックパッカー達はそうやって旅をしているのか。
昔は、リキシャマンのじじいと運賃の交渉でモメたって話がお決まりだったのに。
バスターミナルから1時間かけて歩いてバラナシの安宿街まで来た自分は古いのだなとつくづく痛感した。

でもそりゃそうだ。
時代が変われば旅の仕方も変わる。
自分だってスマホを持って事前にゲストハウスを調べて予約して決済して、さらにマップアプリを使ってゲストハウスまで歩いてくるではないか。

私はその時ネパールから陸路で国境を渡ってきたばかりで、あと一ヶ月はインドに滞在する予定だった。
だから移動途中でもネットが使えるようにしたくて、SIMカードを買うつもりでいた。

小さな携帯ショップへ入って「SIMカードが欲しいんだけど」と言うと、店主が「あっちへ歩いていったらAirtelのショップがあるからそっちへ行け」と答えたのでお礼を言って外へ出た。

インド人の言う事だからなぁ、ほんとにあんのかなと半分疑っていたが、10分ぐらい歩いたら本当にあった。

中へ入ってみたら、クーラーがしっかり効いていて涼しい。
カウンターには30代ぐらいの男性と40代ぐらいの女性の店員がいた。客は一人だけ。

女性の店員に一ヶ月だけでいいからSIMカードが欲しいと伝えたら、「30日間で7GB使えて500ルピーよ」と返事が返ってきた。
ふーん、7ギガ使えて日本円でざっくり1000円弱ぐらい?安い。いいじゃんお手頃じゃない。じゃあそれで。

私はパッと500ルピー札を渡してSIMカードを購入した。

その後、私はいつものようにお菓子や飲み物を買い出しに行った。
ゴードリヤの交差点からバラナシ駅方面にしばらく歩いて行くと、右手に映画館も入っているちょっとしたショッピングモール的な建物があって、ここにはスーパーがある。
食品から生活雑貨まで品数もまぁまぁだし、きちんと値段がついていてレジでスキャンする店なので、値段の不明な個人商店より気軽に買い物ができる。

ここでお菓子と飲み物を買って、宿に戻る途中でラッシーを一杯飲んで、最後にパンを売ってるレストランでアップルパイもどきを買って宿でのんびり食べて寝るってのがお決まりのパターンになっていたのだ。

きちんと冷蔵庫で冷やしてあって、客に出す直前にヨーグルトの上澄みの固まりと潰した木の実などをトッピング。記憶が定かではないが、これで25ルピーぐらい(約50円)だったと思う。
ガラスのコップではなく、昔ながらの陶器の器なのが気に入っていた。飲み終わった器は叩き割られて捨てられる。使い捨てなのは、ハイカーストの人達とローカーストの人達が同じ器に口をつける事が無いようにするため。悪しき習慣の一つかもしれないが、インドでは根深く残っている。

ラッシーを飲み終わって、通りに出た。

そしたら、ボロボロの身なりでガリガリの小汚い物乞いの女性がふいに私の腕をつかみ「お金をくれ」と手をだしてきた。

インドでは、日本にいたら想像もつかない程の数の物乞いがいて、このようにお金をせびられるのは日常茶飯事だ。
物乞い全員にお金をあげるなんてキリが無いし、一人にあげるとそれを見た他の物乞いがオレにもワタシにもと寄ってくる場合があるので、何もあげない旅人の方が多い。
私は腕をつかまれた事に一瞬イラっとしてしまい、乱暴にではなかったがパッと腕を振りほどいてそのまま無視して歩き続けた。

しかし、何歩か足を進めて、頭が冷めてきた時に、突然雷で打たれたような衝撃を受けた。

「いまの俺の行動・・・間違ってないか?腹の足しにもならないデータ通信には安いと言って500ルピーを払って、お腹を空かせているあの女性にあげる10ルピーを惜しく思うだって!?そんなの、人として歪んでないか?」

なんか頭がぐらぐらした。
ヤバい、自分の醜さに泣いてしまいそうだ。

振り返ると人混みに紛れてもうさっきの物乞いの女性を見分ける事はできなかった。

何度も罪悪感と後悔の波に揺さぶられるのを感じながらアップルパイもどきを買って宿に戻り、自分がとった行動について考えた。

俺はただ日本に生まれただけで、何不自由なく暮らしていて、こうして物価の安い国へ来てのん気に宿でゴロゴロしてネットでニュースや動画を見ながらお菓子を食べている。

あの物乞いの女性はただインドの貧しい家庭に生まれただけで、衣食住に恵まれず、世の中の出来事から切り離されてひたすら物乞いをして空腹に耐える毎日を過ごしてる。

そう、あの女性に非があるはずが無い。
たまたまそういう星の下に生まれただけだ。

すがりついてつかんだ腕を振り払われた物乞いはどういう気持ちだったのだろう。

人間は全然平等なんかじゃない。これは自分のせいじゃない。
それはわかっている。仕方がない。
全員がマザーテレサになれる訳じゃあない。
俺が物乞い一人に少しばかりのお金を恵んだところで、世の中は何も変わりゃしない。さざ波ひとつ起こす事はできない。

でも、このまま、つかまれた腕を振り払うような人間でいいのか。

次の日、いつものようにラッシーを一杯飲んで通りに出たら物乞いの女性がいたので、ポケットに用意しておいた20ルピー札を取り出し、すれ違いざまにさりげなく物乞いの手に渡した。

昨日と同じ物乞いの女性だったのかどうかはわからない。
俺は、せめて、少しでも自分が歪んでないと正当化したかっただけだ。

他には何も意味は無くたってよかった。

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