2010年11月。
私はベトナムの北部のディエンビエンフーという町にいた。
そこは1946年から1954年まで続いた第一次インドシナ戦争においてベトナム側がフランス軍を追っ払った事で有名な町だ。
町には大きな丘があり、階段を上っていくと、フランス軍を撃退した記念碑が建てられている。
また、ラオスとの国境に近いので、国境を越えるバスがある。
私は次にラオスに向かうべくこのディエンビエンフーに来たのだ。


前日のうちにラオスのムアンクアという小さな町まで行く国際バスの出発地を確認しておいた。
もう記憶が定かではないが、確か切符は前日には買えず、当日バス乗る時にお金を払ってくれと言われた気がする。値段ももう覚えてはいない。

だが、そのバスの中であった事はよく覚えている。

バスの出発時刻は朝早かった。辺りがまだ暗い中ホテルを出た。
たまたまバスターミナルのすぐ近くのホテルに泊まっていたので、時間には余裕があったはずだったが、既に何人もの欧米人バックパッカーがバスの後ろからバックパックを積み込んでいた。
国際バスとはいっても、そんな立派なものではなく、ちょっと大きめのハイエースバンみたいなタイプのバスだった。
ドアは一か所だけで、バスの中に入ると前半分には椅子が窓側に少しと割と広めのスペースがあった。立ったまま乗る人が掴む用に、真ん中にポールがある。
後ろ半分には4人がけぐらいの椅子が3列。なので、普通に乗客全員が座席に座ったら、18人ぐらいだろうか。

後ろ半分の座席は欧米人バックパッカー達で全席埋まっていた。楽しそうに英語で談笑しながら出発を待っている。
日本人は私一人で、ドア近くに置いてあった後付けの丸椅子に座って肩身狭くじっとしていた。

乗車チケットを取りまとめていたのは、ドライバーではなく少年だった。たぶんまだ16~18歳ぐらい。
でも少年はベトナム語はもちろん英語も話すし、ラオス語も話せるようだった。すげえなおい。

そのうち地元の乗客も乗ってくるようになった。中にはかなり高齢と思しきおじいちゃんおばあちゃんもいる。

地元の人はほぼみんなが荷物をたくさん持っていた。
ベトナム人がラオスにモノを売りに行くのか、ラオス人がベトナムからモノを仕入れてきたのか、どちらかはわからないが。
しかも、大きな口開きのビニール製の手提げ袋だったりを抱えているので、荷物を重ねてまとめて置く事ができない。

段々とバス前半分の座席無しのスペースは一杯になってきた。
既に前半分だけで20人近く乗ってる気がするけど大丈夫か。
座席に座ってる欧米人たちを合わせたら30人越えてねーか?

チケットを取りまとめていた少年は、悠々と後ろの座席に座っている欧米人たちにもっとつめて座ってくれと頼んだ。
まぁ当然の流れだ。

そしたら欧米人たちは口々に「No!Impossible!」と拒んだではないか!

4人がけの座席なんだから、4人が当然だと。無理だと。

少年と欧米人たちの攻防は5分ぐらい続いた。
業を煮やした少年はベトナム人の乗客のおっさんに、バスの外に出て窓から乗ってくれと言い、ベトナム人のおっさんは本当にバス後方にまわり、欧米人たちが座っている後部座席の窓の外から強引に中に乗りこもうとした。

欧米人たちの声は悲鳴に変わり、「Nooo!」だの「Crazy!」だのわめきながらおっさんを窓から押し返した。
そして少年に向かって、バスのチケットを振りかざし、

「我々はチケットを買ってるんだ!だから座席に座る権利がある!」と怒鳴った。

私は心の中で、「チケット買って乗ってるのはお前らだけじゃねーだろ。そこのおじいちゃんだっておばあちゃんだって買って乗ってんだろ。なに自分達だけが金払ってるみたいに振舞ってんだ。」と思った。
欧米人たちに少しぐらいつめてやれよと言いたかったが、それを英語で言い表す語学力も、勇気も無かった。
しかも長時間の移動だから、正直できれば自分もこの丸椅子に座っていたい・・・。

ついに少年は説得を諦め、バスは出発した。
バスの前半分は荷物を手に持ったまままるで満員電車のように立っているベトナム及びラオス人たち。
バスの後ろ半分は安堵の表情で悠々と座席に座る欧米人たち。

波乱はまだ終わらなかった。


交通網が整っていない地域では、長距離バスは途中途中で乗客を拾っていく。
車を持ってる人が少ないので、バスターミナルに行けない人達はバスのルートになる道路沿いで待ち、バスに乗る。こういう時に少年がお金を受け取りチケットを渡す役割を担う。
我々が乗ったバスも途中で乗客を数人拾っていった。
その度に、少年と欧米人たちは火花を散らした。

「もっと詰めろ!」
「ノー!」
「もっと詰めろ!」
「ノー!インポッシブル!」

何度も繰り返されるやりとり。
2~3回ぐらい乗客を拾った後には前半分だけぎゅうぎゅう詰めになっていた。
私は前半分と後ろ半分の境い目で、丸椅子に座って身を潜めていた。

しばらくして、また荷物を持ったおばあさんが道端でバスを待っているのが見えた。
ドライバーはさすがにもうムリだと判断したのか、おばあさんに手を振って合図をし、そのまま通り過ぎた。
その瞬間、欧米人たちが、

「Oh! Yeah! This is it! This is it!(やった、これっきりだ!これっきりだ!)」

と手を叩いて喜びあった。ついに俺たちはこの席を完全に確保できたぜ!と喜んだのだ!

それを聞いて私は急激に怒りの感情が沸いてきた。

お前らのわがままのせいで荷物を抱えたおばあさんはバスに乗れなかったじゃねーか!
移動手段を持たないおばあさんはあとどれくらいあのまま待つかもわからないのに!
あのおばあさんにこれからどうしろって言うんだ!
お前らが座席を確保する事の方が、おばあさんが途方に暮れる事より大事だってのか!

けれどその怒りを英語でぶつける事もできない自分が情けなかった。
そして、もうこれ以上自分がこんな身勝手な奴らと同じ外国人旅行者側にいるのは耐えられないと思った。

私は座席から立ち上がり、目の前でずっと立ってたおばあさんの肩をポンポンと叩くと座席を譲った。
頑なに座席を譲ろうとしない欧米人たちに対してのせめてもの意思表示だった。

俺がバカだった。
席に座っていられることに執着せず、もっと最初からこうしていれば良かった。
そう思った私はココロが軽くなったのを感じた。
バスの中は妙にシーンとしていた。


バスは途中でトイレ休憩で停まった。
私やベトナム及びラオス人はそれぞれ外に出てトイレを済ませたが、欧米人たちは誰一人バスから降りてくる者はいなかった。
座席から離れたら誰かに取られてしまうかもしれないという不安があるから我慢しているのだろう。

バカだな。
私は悠然と一番最後にバスに乗った。ぎゅうぎゅう詰めでも一番最後にバスに戻れば少なくともドアの窓から外の景色を見れるポジションを確保できるからだ。

少しバスが走ったところで、座席の最前列にいた50代ぐらいの欧米人のおっさんが、ムリに隣りに寄ってスペースを作り、近くにいたおばあさんを座らせようとした。
が、別のおじいさんが座ってしまった。
欧米人のおっさんは、アンタじゃない、あっちのおばあさんに席を譲るんだと英語とボディランゲージで説明したが、おじいさんが理解できるわけもなく、おっさんもぶすっとしながら結局あきらめた。

私はその様子を見て、おかしく思いながらも、自分の行動の意味が伝わっていた事を少し嬉しく思った。


バスは国境を越え、ラオス側へ。

バスを降りたら、先ほどおじいさんに席を譲った欧米人のおっさんが話しかけてきた。
おっさんの名前はウォルターといい、オーストリア出身で元警察官らしかった。
ウォルターは英語がペラペラではなかったが、「お前は他の奴らとは違う。」とほめてくれた。
結局、ウォルターとはその後一緒にルアンパバーンまで行き、同じ安宿の部屋をシェアしたり観光したりと、しばらく行動を共にした。


バスの中でしきりに座席の権利とやらを叫んでいた彼らがどこの国の人なのかはわからない。
でも確実に、彼らはいま自分たちが滞在している現地の国の人々に敬意を持っていなかった。

一体、あの時欧米人たちが声高に振りかざした、「権利」とは何だったんだろう?

なぜ、欧米人たちにはあって、現地の国の人たちにはなかったんだろう?

欧米人という括り方は多くの国を含み過ぎるので不適切であるのは承知の上なのだが、逆に特定の国を指し示す訳ではないので敢えて使用すると、世界は欧米人たちのせいで画一化されてしまっている気がする。

もし 世界各地がどこもかしこも欧米式になってしまったら。
もし世界各地が自分達の文化を捨ててまで欧米人たちに気に入ってもらえるようなカフェやバーばっかり作ってしまったら。
世界各地は画一化され、面白味の無いものになってしまう。
そんなのつまらない。
旅する面白味なんてあったものではない。

それぞれの国や地域には独自の文化や風習があり、自分たちとの違いがあって当たり前だ。
違うからこそ面白い。
旅行者はそれを理解し、尊重すべきだと思う。

もちろん欧米人はみな理解していないと言っているのではない。
現地の文化にどっぷり溶け込んでいる欧米人はたっくさんいるし、逆に日本人で現地の人達に迷惑をかけるような恥ずべき行動をとる人はたくさんいる。

自分だって、常に正しい行動をとれているわけではないのであまり他人の言動ばかり非難はできない。
でも、せめて自分だけは、できるだけ訪れた国の人や文化を尊重し、敬意を持った行動をいつも心掛けていたい。
そうすれば、その国の人もこちらに笑顔を向けてくれると思う。


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