私は大学3年生から4年生にあがるタイミングで、大学を1年間休学した。

その理由は2つ。

まず一つ目は、とある事がきっかけで「インドのエローラ石窟寺院ってところに行ってみたい!」と強く感じた事。

それから二つ目は、とある事がきっかけで「なんかわかんないけどこのままじゃダメだ!」と強く感じた事。

一つ目の「インドのエローラ石窟寺院に行ってみたい」と感じたのは、大学での美術の授業がきっかけだった。
3年生の時に必修科目ではない美術の授業をちょっとした興味本位で受講してみたのだ。
その授業では友達が一人もいなかったので私は教授が流していたビデオを前の方の席でぼんやり見ていた。
ビデオはインドのエローラ石窟寺院という遺跡を紹介するビデオだったのだけど、映像で見る遺跡のあまりの凄まじさに驚愕し、

「テレビで見るのではなく、いつか自分の足でこの地に立ってみたい!」


と感じてしまった。
インドに興味なんて一切なかったのに、そんな風に感じたのは初めてだった。
教授はちょっと変わり者で、大のインド好きで毎年1回ゼミの生徒を引き連れてインドに行くという人で、後日インドの事はもちろん海外旅行の事など何も知らない私はアドバイスを得るためにこの教授の部屋を訪ねることになった。

二つ目の、「なんかわかんないけどこのままじゃダメだ」と感じた原因は、同居してた祖父の死がきっかけだった。

足が悪かった祖父は、私が高校生の時から半寝たきりで、私が大学生になっても入院と退院を繰り返していた。当時の私は遊びたい盛りの18~20歳。
実の祖父が実家で寝たきりになってもまるで我関せずで、夜遅くまで友達と遊んだりバイトしたりと忙しく、いわゆる学生ライフを楽しんでいるばかりだった。
祖父はすっかりボケてしまっていて、妻である祖母の顔と名前すらわからなくなっていて、小さい頃の記憶しかもう思い出せなくなっていた。

毎日何回も何回も来やしない自分の兄弟の名前を呼び続けていた。
祖母は、顔も名前もわかってもらえなくなっても懸命に介護を続けていた。

ある日、自分の部屋でマンガを読んでいたら、祖父がまた兄弟の名前を繰り返し呼び始めた。
たまたま祖母が不在だったので珍しく私が様子を見に行ってみた。
すると祖父はいつもと違う人物が来たので少し驚いた様子だったが、小物入れを指さして何やら訴えようとし始めた。
小物入れの引き出しを開けると、割と大きめでしっかりした作りの腕時計が出てきた。
祖父が反応したので、「おじいちゃん、これ?」と確認すると「お~お~」言いながら頷くので渡してみた。
祖父はおぼつかない手付きで腕時計を手にはめようとしたが、うまくできなかったので私は手伝ってはめてあげた。
手伝いながらふと文字盤を見ると、時計の針は既に止まっていて、でたらめな時間を指している。
私は心臓の奥からズキッという音が聞こえた気がした。
祖父は手にはめた時間の止まったままの腕時計を嬉しそうに私に見せて、とても無邪気な笑顔で笑った。
小さな子供のように。


そしてその冬の夜、再度入院していた病院から深夜に電話があり、受話器を取った私は「ご家族の方皆さんで今すぐ病院まで来てください。」と言われた。
慌てて家族を起こしてみんなで病院へ行くと、小さな病室に横たわる祖父がいて、医師から祖父の死を告げられた。

母は泣き崩れた。私にはまるでテレビドラマの中にいるようで現実感がなく、周りの空気がボヤケているように感じられた。

祖父が亡くなった日の3日後には、私は成人式を迎えるはずだった。

病院の廊下の長椅子に座りながら、あぁこれは成人式出れないかもしれないなぁ、でも、そんなのどうだっていいや・・・とぼんやり思っていた。

けれど、悲しんでいる間もなく葬儀までの段取りが組まれ、あっという間に遠方に住んでるはずの親族が集まり始め、いつの間にかお通夜が始まっており、気が付いたらお葬式まで滞りなく進んでいた。
悲しむ暇も眠たくなる暇もなかったほど。

おかげ様で無事に成人式に出席する事ができ、私は、お通夜→お葬式→成人式と三連コンボを決めた。

喪服など持っていなかったので三夜とも同じスーツで、成人式の時にはまだうっかり数珠がポケットの中に残ったままだった。
成人式でテンション高めにハシャギまくる同級生を前に、私はうまく笑う事ができず、虚ろな気分で式を終えた。

冬休みが終わって大学がまた始まっても、同じ学部の友達は授業サボってパチスロや麻雀に楽しそうに遊んでいた。

つい先日までは自分も一緒になって楽しんでいたはずなのに、祖父の死後は楽しむ事ができなくなっていた。

原因はきっと祖父の死が自分の価値観というか考え方に大きな影響を及ぼしたからだろうなという事は理解していた。

祖父は若い頃に戦争を経験し、働き盛りの頃には戦後の貧しい時代を生き抜き、好景気になった頃にはもう高齢で、何もかもが豊かで便利な時代にはボケてしまっていた。

祖父の人生を想うと、私はいたたまれなかった。
人生とはかくも無慈悲なものかと。

けれどあれこれと考えを巡らせた後に、生まれた時代を呪っても仕方ないし、少なくとも家族に看取られた祖父は幸せだっただろうと思った。
そう思った後で、ふと思い当たった。

「じゃあ、自分は・・・?後に幸せだったと言えるような生き方をできているのか・・・?」

何不自由ない時代に生まれ、親が高いお金払って通わせてくれてる大学の授業をサボって、のうのうと麻雀にパチスロしてるだけ・・・!?

一体何をやってるんだ俺は・・・!!

「足が悪かった祖父は晩年寝たきりになって妻の名前も顔もわからなくなってしまった。自分だって将来そうなるかもしれない。足が動くいまのうちに色んなところを歩き回って色んな経験しておかないと!」そう思った。

友達には申し訳ないけど、ひとまずいまのパチスロばかりしてる大学の友達と自然に距離を置く為には休学が最も相応しいと考え、私は休学の申請をした。

とは言ってもエローラ石窟寺院に行ってみたいけど海外なんて行った事無いし英語で外国人と話したことなんてないしお金だって無いし、どうしたらいいものやら・・・。

でもこういう状況で自分の頭で考え迷いながらでもぶつかりながら行動してこそ、人は成長するもの。

深夜のバイトで半年間お金を貯め、日本を少しバイクでまわった後、初めての航空券予約や海外旅行保険などに四苦八苦しながらついに海外に旅発つ日を迎えた。

自分で言うのもアレだけど、これら一連の経験で自分は少しは成長した気がする。

以上、私がバックパッカー旅を始めることになったきっかけ、でした。
次回以降、私が旅先で経験した様々な一コマをお届けしていきます。

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