バラナシのダシャーシュワメード・ガートでは、毎晩日没後にプージャ/プージャーと呼ばれる礼拝の儀式が行われる。
今回はその様子をご覧いただきたいと思います。
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プージャとは、サンスクリット語で供養という意味だ。
なので、バラナシのこの毎晩行われる儀式だけを指すのではなく、一般家庭とかで先祖に対しての供養をしたならそれもプージャと言う。
でもバラナシでは毎晩あるもんだからバックパッカー達は「どうする?今日もプージャ見に行く?」みたいな感じで頻繁に使うから、すっかりプージャと聞いたらバラナシでの催し物を思い浮かべてしまう。
プージャが行われるダシャーシュワメード・ガートはゴードリヤの交差点からガンジス河にまっすぐ進んだ所で、いわばメインとなるガートだ。
階段も幅広くて目の前にガンジス河が大きく広がる。
もちろんガートからプージャを見てもいい。気軽に見に行って飽きたり疲れたりしたら気軽に立ち去れるし。
でも時々はボートに乗って河の上からプージャを見てみるのもまた一興だ。ボートを一人で借りるとお金かかるので、宿で知り合ったバックパッカー達を誘ってみんなで行こう。10人前後集まってもボートに全員乗れる。
お。そろそろプージャが始まるようだ。
写真右側に電飾が傘の形になって光っているのが10本近くあるところがプージャの儀式のセット。
周りに人が集まってきている。観光客を乗せたボートが陣地取りで河岸に密集している。
人が集まってくるって事は、バラナシで暮らす子供達にとっても働き時って事だ。
子供達は夕方になると、プージャでは供養の為に使う、葉っぱを織り込んで作られた皿に花とろうそくを乗せた花皿を売り歩く。
これがまた結構強引で、ザルに何個も花皿を乗せて観光客相手に売りつけてくる。時には5~6人の子供達が集団で押し寄せてきて、「買って買って」と迫ってくることも。
だいたい1つ5ルピーぐらいだったかな。10円から15円ぐらい?だったような・・・。
しかも我々が漕ぎ手のおっさんと交渉して借りたボートに勝手に飛び乗ってきたりもする。
まぁ無下に怒鳴って降ろすのも大人げないのでそのままにしておきますが。そのうち近くの別のボートに移って別のお客を探しにいなくなっちゃうし。
色とりどりの電飾が反射したガンジス河は穏やかに流れていて、あたりの空気はなぜかオレンジ色に染まって非現実的で、ボートに同乗してるバックパッカー達はなぜかみな物静かで、まるで本当に現世とあの世の境を流れる河にいるような気さえする。
私は、すぐ隣には友達がいるのにも関わらず、つい自分一人の非現実感にすっぽり入ってしまった。
なんか遠くの方でたくさんの人達が何かしているけど・・・。
あーダメだもう何が何だかわかんねー・・・。ひどく眠たくて頭がぼんやりする。
あ~・・・君は?花売りの子?
なんて幻想的で美しい光景なんだろう。
夢でも見ているのかな・・・。
足元に目をやると、花売りの子供達から買った花皿のろうそくの火でみんなのつま先がオレンジ色に照らし出されている。
それぞれ何かしらの意思をもって日本を出てあちこちを旅してきて、たまたまここインドのバラナシで知り合って同じにボートに乗り合わせた一期一会。
そう、旅は一期一会の繰り返しだ。
俺はいつも誰かの前を通り過ぎているのだ。
ヒンドゥー教徒の人達とは少し祈りの意味合いが違うだろうけど、このプージャの儀式にのっかって幸運な一期一会に感謝して、花と一緒に祈りを聖なる河ガンジス河に流そう。
・・・最後ちょっとアホになってしまいましたが、実際にプージャを目の当たりにしてるとそんな気分になるんだから。
次回はバラナシについての最終回です。よろしくです。
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